今から約380年前の江戸時代に、肥後細川藩初代藩主細川忠利公は山鹿の温泉をたいへん気に入り、寛永17年、山鹿にあった藩の御茶屋を新築しました。この御茶屋が“さくら湯の歴史の始まり”です。
明治3年から5年にかけて行われた大改修で「市民温泉」として生まれ変わり、明治31年に「道後温泉」の棟梁・坂本又八郎氏を招いて改修が行われた際、北側に唐破風を備えた玄関が設けられました。
さらに、昭和4年の改修では南側にも唐破風の玄関を設け、「十字クロス構造」と呼ばれるさくら湯の特徴が完成しました。
しかし、昭和33年の改修で、浴室は明治以来の雰囲気を喪失し、同48年には再開発ビル(温泉プラザ山鹿)建設のために解体されました。
その後、約40年が経過しビルの老朽化が進んだことをきっかけに、市民に親しまれ、現在も記憶に残る往年のさくら湯を再生したいとの想いに応えて、市はさくら湯再生事業に取り組み、平成23年7月着工、平成24年10月に「さくら湯」がいよいよ完成しました。
なお、今回の再生では、外観は昭和48年の解体前、内観は昭和33年改修前の姿に再生されています。